誰とお雑煮 誰とお雑煮
長野生まれ(父)と日本橋生まれ(母)で出来あがった竹花家のお雑煮は、
これといって絶対的な特長はなくて、その年によっていろいろだった。
お椀に焼いたお餅を置いて、おすまし仕立ての汁をそそぎ、茹でたほう
れん草やミツバ、紅白のかまぼこをトッピング。あるいは大根、人参、
里芋、こんにゃく、牛蒡、お肉など具だくさんの汁にお餅も投入しちゃ
ってドゥルドゥルに煮込んだすごく腹持ちもいいお雑煮。それも年によって
味噌仕立てだったり醤油仕立てだったり変化していたように覚えてる。
あ、おすまし仕立てが母系でドゥルドゥル仕立てが父系ということだったのかな。
お餅の数は自己申告制。私はいつもお雑煮に1個、そして磯辺焼きで1個と決まってた。
どうしても香ばしい醤油の香りに海苔を巻いたのを1個食べないと落ち着かなくて、
中学生の元旦も、高校生の元旦もいーっつもそうしてた。お醤油に七味を混ぜはじめたのは
大学生になってからの習慣だった。実家を出てからの「自分で作るお雑煮」も
やっぱり「その年でいろいろ」が続いた。ひとりで迎えるお正月もあれば、
誰かといっしょのお正月もあり、その年の私をとりまく空気によってお雑煮の中身や
味付けだけじゃなく、食べる日も元旦とは限らなくて変化した。年末までにケリを
つけなくちゃと自分から別れを告げたのに、ひとりぼっちのお正月が淋しくて半べそ
かきながらお雑煮を食べた日だってある。その時もたぶん、お餅はお雑煮で1個、
磯部焼きで1個だったはずだ。悲しいとか嬉しいとかの精神状態に引っ張られない
絶対的な嗜好というのがあるのだな。2013年の元旦。いったい何年ぶりか思い出せない
くらい久しぶりに、元住吉にある実家で母といっしょにお雑煮を食べました。
怒濤の年末おせち作り(タケハーナ時代)がなく、体力じゅうぶんで迎えるお正月というのが
久しぶりで、80を過ぎてひとりで暮らす母を想う余裕がやーっと芽生えたという年季の入った親不孝ぶり。
そこを反省しながら作ったお雑煮は。。
《汁》
鶏もも肉(皮ははずす)ひとくち大
大根(厚さ3ミリの2センチ角な感じ)
里芋(厚さ4ミリぐらいで輪切り)
椎茸(厚さ3ミリの薄切り)
だし(昆布と鰹節)
酒
塩
薄口醤油
魚醤(ナンプラーとヌクマムの混合)
黒糖粉末
みりん
米酢
《トッピング》
菜の花(茹でて薄口醤油でかるーく下味)
トマト(櫛形にカット。酸味のたった美味しいのが残っていたので)
柚子皮
そして焼き餅
こんな感じがいつのまにか私のお雑煮の定番になりつつある。
トッピングの菜の花と柚子は欠かせない。菜の花はやっぱり春のきざし、
ちょっと高くても年末ぎりぎりで買ってしまいます。
これを元旦の朝起きてから上野毛の自宅で作って東急線に乗って母のところへ運んだ。
「お母さん、お餅いくつ?」ずっと昔は母が私に聞いたことを今年は私が聞いている。
答えは思ったとおり2個。そして私は今年もやっぱりお雑煮で1個、磯辺焼きで1個。
七味入りで。明けましておめでとうな清々しいお天気に似合った、
ちょうどいい透明度のお雑煮だったように思います。母も美味しい美味しいと言って
汁まですっかり飲み干してくれた。だけど。。食べる前に撮った母の写真を自分の家に
帰ってからパソコンで見て、ちょっと焦ってしまった。撮られているのは「お雑煮」
だから自分は邪魔にならないようにとその傍らで息を殺しているその佇まいに、
なんだかとても薄味な母のエネルギーを感じてしまったのだ。なんか見てはいけない
ものを見てしまったような。肉眼では気がつかなかった気配。そういえば
「お雑煮にトマトなんか入れるの~!?」ってある意味まっとうなツッコミも
なかったなあと思い出し、今年はもっと元住吉へ行こうと年始の誓いを立てたのでした。
誰とお雑煮 誰とお雑煮