チュー
いつのことだったか思い出せない。
年が明けた頃?1月、2月、
ひょっとしたら去年の暮れだったかも。
出たんです。とうとうウチにも。
キッチンのテーブルの上、
いつものように好きなトマトが5,6個置いてあったのだけど、
そのひとつに小さな異変があったのです。
てっぺんに掘られた直径6ミリほどのくぼみ。
『あまちゃん』はじまっていたならきっと「じぇじぇっ」と言っちゃっただろうな。
間違いない、これはチューの仕業だもの。
15年いっしょに暮らした情熱のハンター雌猫のコナツが逝って2年。
この家から猫の匂いが消えつつあるのだなと思ったら、
それもなんか哀しいし、とにかく厄介なことになっちゃった。
チューとの初接触はタケハーナ10年目の頃だった。
その始まりの合図はやっぱりトマトに出来た穴ポコで。
それを見た時、最初はコバエが食べたのかななどと呑気に思ったのだけど、
次の日にアボカドが齧られていたのを見て唸ってしまった。
その夜、アボカドを乗せたお皿の周囲一帯に茶こしを
使ってきれーいに小麦粉を撒いておいて、
チューの痕跡を確認し、撃退法をネットで調べ、
あらゆる市販の対策グッズを買って仕掛けてもラチが開かず、
結局、高い料金を払って専門の方に来てもらったのだった。
10年いなかったのに急になぜ?という私の問いかけに、
専門の方は「最近,このあたりで古い建物が壊されたでしょ。散ったんだよね」
と得意そうに教えてくれた。
その第一回チュー騒ぎも専門の方の実力か、
なんなく2週間も立たずに解決し平和な日々を取り戻すことが出来たのだけど、
料金を支払った1年契約の期間が過ぎた頃になるとまた壁のすみあたりに
チュー糞(フン)を見つけてがっがりするというパターンを、
以来毎年くり返すことになってしまったのだった。
これには業者のおじさんが契約おわりましたねー、
またよろしくねーって挨拶に来た時に、
そっとチューを放しているのじゃないかという疑惑さえ生まれた。正直なところ。
あー。自宅のキッチンのトマトに出来た穴。
コナツの実験対象になった歴代チューの姿を走馬灯のように思い出しながら、
キッチンの表に出ているすべての食べ物を片付けて、
彼らには「け、この家、なんも食べ物ないじゃん」と
どこかヨソへ移ってもらうという初歩的な対策を実行しつつ、
家の中のどこを歩くにも目を皿のようにして
フンがありはしないかと探る日々になってしまった。
で。朝起きるとあるんです。ちいさーいフンが。
階段のはじっことか、冷蔵庫の横っちょとかに、
ぽつぽつんと。いったい何匹いるのかな。。
夜中、テレビも何もつけず静かに次のメニューなどをスケッチしていると、
天井で微かな音がする。かさっ。控えめな感じではあるけれど。
そしてコトが大きく動くでもなく、フンの大きさや数が増すでもなく、
しかし確実に、日々、なにかしらチューの形跡を感じながら半月ほどがたったある夜。
2階の寝室で寝ていると(キッチンは1階)、
天井でガサガサッと音がして電気仕掛けのように飛び起きた。
あわてて電気をつけて身体中を耳にしてジッとしていたのだけど、
相手も息を殺してこっちを伺っている様子で何も起こらない。
3分ぐらいそうしていたのかな。まだドキドキは止まらなかったけれど、
朝までこうしている訳にもいかないから、
また電気を消して寝床にもぐり込んでウトウトしはじめたその時!
今度は天井裏どころじゃなくて、もっと近くで暴れる音が!な、なんで~。
ふたたび飛び起きた私はコナツになったかのように全身で気配を読み取り、狙いを定めて、
壁に立てかけてあったポスターのフレームを「ここッ!」とばかりにどけた。
い、いた~~~。しかしアッという間に逃げられ、
タンスや椅子やなんやかやをぜんぶ速攻動かして後を追ったのだけど、
その夜は完全に巻かれてしまいました。
でも凄く小さかったなあ。フンから推測して、やっぱりそうかというサイズ。
そして次の夜。昼間は基本的に動きがないですからね。
夜、帰宅してお風呂に入っていよいよまた就寝の時間。
いつもは入眠間際で2階に上がるので、
電気もつけずにそのままふとんにもぐり込んでしまうのだけど、さすがにこの時は、
部屋全体を照らす天井の蛍光灯を点けずにはいられなかった。
や、目を疑うとはこのこと。
私のふとんの上のど真ん中に、
死んだはずのコナツがいつものように、
だけどうんと小さくなって丸まっている、そう思った。
それくらい姿カタチが似ていたのです。
や、でもちがう、これはコナツじゃない。
ちゅ、ちゅうだあああ。
昨晩、フレームの後ろで目撃した、あの小さい小さいこねずみ。
寝てるの?と思ったけどまさかそれはなくて、
その子はしっかり目を閉じて、息絶えていました。
冬用のふわふわの掛けぶとんに、
ほんのおしるし程度のシミを残して死んでいた。
くるんと猫みたいに丸まって。いやいや、どうゆうことよ。
死に場所にここを選んだんですか!
私とあなたは家族同然でしたっけ?
昨日、危険を冒してまで姿を現したのは、お別れのあいさつだったの?
心の奥のほうから染み出て来るようなむずがゆい笑いと想像が、
しばらく止まりませんでした。
その夜を境にチューの気配はあっさり消えた。
すべてはあのチビたったひとりの単独行動だったんだと思うと、
妙に懐かしさだか愛しさだかが沸いてきてしまう。
あんなにビビって、あんなにうんざりして、
あんなに憎々しく感じていたのにな。
思い出すたび何度でも不思議。
そしてテーブルの上にはまたトマトや果物、
チューたちの好きなものが出しっぱなしになっているうちのキッチン。
懲りないもんですね。もう、こんなエピソードはいらないけれど。